9.30.2012

YouTubeはじめました



こんにちは。
 
YouTubeはじめました。

YouTubeでよくバンドなんかの楽器のコピーしてるのを見かけるので
自分もやってみようと思いまして。

Self Inflicted-Bodyjar Guitar Cover



Negative Man-Bodyjar Guitar Cover



Calling Orson-Bodyjar Guitar Cover 



多少とちってるところがありますけどまあただの趣味なんでご理解を。


 以外にもアップした翌日、外国の方からコメントをもらえて嬉しかったので
 また気が向いたらアップしていこうと思います。


ではまた。





9.07.2012

NO USE FOR A NAME and Tony Sly



僕がNUFANを初めて聴いたのは200 Proof Punkというコンピに入っていたLeave It Aloneだった。
当時、僕はまだジャケ買いしていたんだけど このコンピにはNOFX,Lagwagon,Strung Out,Millencolin,Satanic Surfersなどそうそうたる(俗に言うメロコアバンド)が収録されていて、その中にいたNUFANはまだ聴いた事がなかった。買った理由の一つはNUFANが入っていたというのもあった。というのも、当時彼等がリリースしていたのがLeche Con Calneだったんだけど、見た目の印象はどうみてもメロコアっぽくなかったのでジャケ買いには至らなかった。で、このコンピに入っていた曲はメロコアと呼ぶには程遠く僕には全く魅力のない物だった。
とまあNUFANはナイなという感じで多分1年半以上は触れることはなかった。

がしかし97年のMaking Friendsがリリースされた時、そのジャケットのセンスの良さに思わず買ってしまった。そして1曲目のThe Answer Is Still Noを聴いたとき、あまりのカッコ良さにそれまで遠ざけていたこの1年半を後悔した。

それからというもの、その1年半を取り返すかのように、Leche Con CalneやDaily Grindも買って聴きまくったし、ギターコピーもしまくった。もう完全に虜になっていた。
そもそもFATのコンピを早々に知っていればこんな事にはなってなかったんだろうけど、当時インターネットなんてなかったし情報なんてほぼ皆無だっからしょうがない。

99年にMore Betternessがリリース。ここから彼ら特有の攻撃性がほとんど消え、哀愁たっぷりのメロディックスタイルに変わった。
NUFANもそうだけど、1999年~2000辺りから各バンドはスピード感を失い独自のスタイルへと変貌していった。そして次世代のパンクの音楽性は多様化していき、エモーショナルとかスクリームだとかいったジャンルに派生していった。この頃を境にメロコアとかスケートパンクというジャンルから離れていった人も少なくないと思う。
僕自身もこの変化に多少がっかりしたものの、以前のように聴き続けた。というよりはこの他に自分にフィットするモノに出会わなかったからなのかもしれない。


NUFANは今まで3回ライブで観たけど、それぞれに印象が残っている。
まず1回目は2000年のバンクーバー。ちょうどMore Betternessリリース後の時で、PULLEYとツアーで回って来ていた。まあコレはPULLEYのライブが圧巻過ぎて若干印象が薄いんだけど、Room 19の時に女の子達がシンガロングしていたのがとても記憶に残っている。

2回目は2003年の福岡。Hard Rock Bottomの時で、RISE AGAINST, ANTI FRAGを引き連れてきた。
まさかまた観れるとは思わなかったから凄く楽しみだった。そして1回目の薄い印象を払拭してもらいたかった。その日は仕事をそそくさと終わらせて会場に行ったんだけど、残念な事にお客さんは割と少なかった。福岡はあんまりこっち系は人気ないのかな?なんて思ったけど、それでもファン達は熱かった。Chasing Rainbowsが始まった時、隣の女の子がすごい熱狂してたのが印象的だった。
Daveもものすごい楽しそうに演奏してたのを覚えている。

この後何度か来日していたんだけど、福岡に来る事はなかった。多分集客が悪かったからだろう。
でも2009年にThe Feel Good Record Of The Yearで再び来福した。
この時は自分自身バンド活動を始めていたのでメンバーも誘って観に言った。お客さんはまた少ないんだろうなと思っていたけどほぼ満員だった。これは凄く嬉しかった。ギタリストはDaveからChrisに変わっていたけど、1番この時のライブが印象に残ってる。Tonyは風邪で喉の調子が悪かったけど全曲歌いきった。本当にカッコ良かったし、刺激を受けた。
このライブがきっかけでマイスペ上で知り合ったのが今のうちのギタリスト。NUFANがこの時来なければ出会う事はなかっただろう。


ここ最近のNUFANはベースのMattが病気したり結成当初からいたドラムのRoryが抜けるなど波瀾は続いたけど無事復活して、YouTubeなんかでも健在ぶりが伺えた。最近Tonyはソロで活動して、7月末にはLagwagonのJoeyとAcoustic2をリリースしたり、ツアー回ったりしていた。

しかし訃報は突然届いた。
8/1朝、いつも通り起床と共にTwitterをチェックした。TLでFat Mikeが"Good bye my friend"なんてツイートしていて、誰か亡くなったのかな?なんて思っていたら、Tony急逝のツイートが。
全く意味が分からなかった。今日ってエイプリルフールだっけ?みたいな感じで。Twitterを見ていくとそれがどうやら真実なんだと伝えていた。その日はなかなか仕事が手につかなくて、とにかくNUFANを聴くことくらいしか出来なかった。。恐らく同じ思いをした人は多かったと思う。
Facebookでも、各バンドやメンバーなどがコメントしていてTonyの存在の大きさを知った。
僕自身NUFANから多大な影響を受けている。日本でパンクやってる人の中にも多くいると思う。
Tonyはパンクアーティストの中でも恐らく1番美しいメロディを奏でた人なんじゃないかな?彼が創ったメロディは多くのアーティストに影響を与えたはずだと思う。
もう彼の新曲も、ライブも観る事が出来なと思うとすごく切ないしさみしい。でも彼が今まで創った曲は死ぬまで聴き続けるし、NUFANの永遠のファンでいようと思う。

この場を借りて、改めて感謝の意を伝えたい。
ありがとうTony Sly、ありがとうNo use For A Name

そして、つい先日ライブをしたんだけど、NUFANのNot Your Saviorをカバーさせてもらった。
対バンさせて頂いたMisled BaldsはOn The outside
そしてNoise CasperはJustified Black Eyeをカバーしていて、何か感慨深いものがありました。

P.S
何故かライブ前日に風邪をひいて喉の調子が悪くなってしまい、速攻で病院に行って薬をもらったんだけど当日には声が出しずらくなってしまった。まるで2009年のTonyやんなんて思ったのはココだけの話。
演奏はまるっきりだけどね。